nature-angel’s diary

月のリズムで過ごしながら、オラクルなメッセージをお届けします

感動ポルノよりもっとすごい事になってる人の事気になる

「感動ポルノ」のことを今になって知る。障がい者に関係するのかなくらいには思ってたけど。でも、やっぱり、もっと大変な人たちのことが気になるのは私だけ?今にも死に行く人たちのような大変な人たちのこと。

 

感動ポルノ

私はテレビを見ない。テレビは家に無い。新聞もニュースもあまり見ない。だから、「感動ポルノ」って言葉、流行ってるけど「何かのエロ?」ぐらいに思ってた...。

たまたま、スズコさんのブログを見て読んで何のことか、わかったばかりだ。

 

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偏見は根深い

 それで、読んでの感想。

「やはり人類史上、偏見は根深いものなのかも」ということに至ってしまった。

難しい。

障がい持っているとかいないとか、見えるとか見えないとか以前に、人間の中に存在する「偏見」というものは、根深いと思ったのだ。

表現するのが難しい。

 

障がい者手帳の交付とか手続き以外の部分で「障がい」という言葉が出てくる時点で、「偏見」が始まっているように思えてならない。

本当に「偏見」無いのなら、「障がい」という言葉を出さずとも議論できるのではないのだろうか?逆に、「障がい」ということを議論している時点でそこにこだわりがあるのかもしれないと思ってしまう。

 

例えば、障がい者を食い物にしているとか。

人でも何でも特徴あると、メディアが取り上げるのはわかりきったことだし、「障がい」と呼ばれる部分は、ただ単に、他の大多数の人とは異なる特徴と捉えることも出来なくはない。ポジティブに考えて。

だから、テレビで話題にされても、それをネタに金儲けされても、よくある話のような気もする。「障がい」という言葉さえ無ければ。

だって、金儲けって、他と比べてこの商品はどうだとか付加価値つけて売るもんでしょ?違ってた方が良いというか。

 

学校や世間の枠を外れて

我が家は、大多数の一般の人々の世界の枠から外れている。そうなりたくてなったわけじゃないけど、テレビも見なければ、学校にも行かなければ、一般のそういう人たちと会う機会もほとんど無いし、当然そのような人たちとの共通の話題もほとんど無い。

でも、学校や世間一般の枠からはみ出してみて、そんなに変わったことも困ることもない(会社員として普通に働いてくれている夫に感謝)。やっぱり、始めは周囲の人の無理解とか気になったけど、続けてみると何も言わなくなるもんだ。

それより、枠から外れて、テレビも見なくなって、今までは洗脳でもされていたかのように感じた。思い込みが外れたというか。

何が一番大切なことなのか?ということの定義が変わった。

 

すごい事になってる人の事気になる

うちは、ちょっと苦労しすぎたこともあって、私は「死ぬより生きてる方がずっと大事」という考えに至ってしまったから、「平和で住む家があって健康でご飯食べて服着てトイレも自分で行けて布団で寝れて幸せ。」と何かと思ってしまう。

だから、学校行って大変とか、テレビで取り上げすぎてるとか、そういう人たちは、ごはんも食べれてるし、服も着てるんだし、幸せな方じゃないか?と思ってしまう。

 

それより、前の記事に書いた一般人には知られること無く死んでいく重度の障がい者や戦争や空爆で死んでしまった人、飢餓で死にそうになっている人たちなど、もっと、生きるだけでも大変な人たちのことが気になる。かと言って、その人たちのことを始終考えているわけにもいかないし、考えていたら気がおかしくなりそうだし、どうにかできるわけではないのだけれど。

 

ここで、スピリチュアルな教えを出してみると、「自分の内側の平和が大切」だということだ。外側の世界の平和に関しても。

自分にできることは、自分の内側のこと。

それが本当に外側の世界に関係するならやるしかない。

 

 

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