nature-angel’s diary

自然のリズムで自分と毎日を大切に過ごす生活

障がいは個性だということについて

この記事を見て、「どうかなぁ?」と思ったので、ちょっと障がいについて書いてみることにしました。

 

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私は自分の子供に障がいがあって、障がい者の施設で少し働いていたので、ある程度は障がいについて、理解のある方だと思います。

 

障がいについて、いろいろ意見があると思うけど、難しいなぁと思います。

 

まず、障がいがあるなら、いろいろと面倒なことがあります。周囲の人たちの偏見や無理解もあるけど、書類や手続きも結構あります。

障がいがあって普通の生活するのに困難があるなら、障がいの有無をお医者さんに診断してもらって、その地域の役場で認定してもらったり、書類を提出して手当をもらったり、利用可能なサービスを紹介してもらったり探して使っていかないと、大金持ちじゃない限り、お金も続かないし、面倒も十分に見てやれないのが現実です。

手当やサービスを提供する側は「個性」という枠組みでは動けないし、手続きとか進められない。「個性」で役所が動くなら、全員が「個性」もっている障がい者になってしまうかもしれない...。

 

もちろん、私はみんなに幸せになってほしいなぁといつも思っているし、本当に「障がいは個性」と思えて、障がいを持っていても幸せな世の中になったらいいな、とは思います。

 

でも、「幸せ」って、個人的なことだし、他人が思う「幸せ」が本人にとって「幸せ」なこととは限らない。

 

それに、「障がいは、個性で、幸せだ」と周りの人が言っても、実際は、本人はどう思っているのか、よくわからないことも多いんじゃないかなと思います。特に重度の知的障がい持っている人は「幸せだ」とか「幸せじゃない」とか思ってないと思う。

 

実際に、私の接した知的障がいのある自閉症の人たちは、「幸せだ」とか「不幸だ」とか言っている所を見たことも聞いたこともありませんでした。自閉症の人は、たとえでよく「その国の言葉がわからない外国人」のように表現されますが、本当に別世界に住んでるような感じでした。住む家があって、ごはん食べて、仕事して、毎日規則的な生活をしていればそれでOKみたいな。おいしいごはんが毎日食べれれば満足みたいな。高価なものを欲しがることもなく、無駄遣いも無いので、働く人はどんどん貯金が貯まっていく。そんな感じでした。周りから見ると、その人たちは障がい者の中でも問題なく過ごしている人たちで「幸せ」な人たちなのかもしれません。いや、絶対そうです。

 

「障がい」とひと言で言っても、身体障がい、知的障がい、発達障がい、精神障がい、いろいろな障害があります。重度の障がいのある人は、知的と身体障がいを併せ持っていたりします。

 

障がい者と言われる人でも、いろいろなタイプの人がいるし、その人の持つ障がいの種類によって、生きづらさや対応の仕方はすごく違います。

知的障がいのある人でも、知的に低いタイプの人は同じことでずっと悩んでいるという感じではない印象です。仕事をする人であれば、何かあってもケロッとして次の日には必ず仕事場に来て、毎日変わらずその仕事をしているという感じでした。地に足がついているという印象です。

逆に、知的障がいのある人でも、知的に少し高いタイプの人は変なことにこだわったり、他の人に迷惑をかけるようなことをしたり、異性のことでずっと悩んでいたり、お金を使いすぎて変な所からお金を借りていたり、お金をだましとられたり、と言う感じで、結構金銭的な問題があったように思います。

精神障がいの人は、仕事場に来ないことが多くて、不平不満が多かったり、心配しすぎが異常だったり、理解できないという印象です。

 

私が思うには、「障がい」という言葉は一部の人たちを除いて、その本人よりも周りにいる人たちのために必要なのだと思います。国や地方自治体がサービスや手当を提供するには基準がなければ収拾つきませんし、「障がい」を理解できない人たちには、とにかく何か、存在を示す何かが必要なのだと思います。

 

「障がい」については、確かに個性と言えるかもしれません。障がい者は本当に個性的です。でも、本人たちが「個性です」と言っている所を見たことがありません。それに、人間なら全員違うし「個性」持ってると思うし。

 

個人的には、事務手続き上以外は、「個性」も「障がい」もどうでもいいんじゃないかなと思います。ただ、弱い人がいて、その他の人たちが助けて、みんな何とか生きていけたら、それでいいんじゃないかなぁと思います。

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