nature-angel’s diary

自然のリズムで自分と毎日を大切に過ごす生活

刺激を求めない平凡な毎日を過ごす難しさと大切さを考えてみる

自分の最近の平凡な生活を振り返ってみて、この平凡な生活の中に、大切なことが隠されているのではないかと思いました。特別な刺激を求めないこと、平凡な生活を続けることが、意義深いことかもしれないなと思い、もう少し掘り下げて考えてみることにしました。

[目次]

 

平凡な毎日を過ごすこと

私の現在の日々の生活は、本当に刺激のない平凡な毎日です。住んでいる所は田舎で、毎日家事をこなし、時々近くのスーパーマーケットに食材を買いに行きます。家族以外に会うのはスーパーの店員くらいで、テレビも見ません。友人はいますが近くに住んでいないのでめったに会いません。電話もめったにしません。

このような現在の生活には、困難も無ければ、物資に過不足もなく、とても平和です。理想郷と言えるかもしれません。でも、このような刺激も変化もない生活を不満なく淡々とし続けることは、実はとても難易度が高いのではないかと、ふと思いました。なぜなら、不満や、未来に不安を抱くのが人の常というものだからです。

不満や不安に思わないこと

人間というものは、不満を持ちやすく、刺激を求めがちであり、本能は無意識に働きかけ、欲求を起こし、行動を促します。また、向上心が旺盛な人ほど、いつも何か頑張っていなければならないと考え、何もしていないと不安になるものだと思います。だから、平凡に過ごして不満も不安も持たないのは至難の業なのかもしれません。

それでは、不満も不安も持たない状態とはどういうことでしょうか。これは、不満や不安が無いということは高い理想を持たないということとも解釈できるかもしれません。また、ネガティブな感情とポジティブな感情がより真ん中(無)に近い状態にあり、バランスが取れた状態に近いと考えるのはどうでしょうか。

宇宙の性質を考えると、バランスが取れた状態というものは厳密にはありません。そのため、「中庸」、「中道を歩む」ということは、常にバランスが取れるように調節していなければならず、言葉を変えると「あらゆることに意識的でなければならない」ということになると思うのです。そうでなければ、「常にバランスを取る」ということは難しいと思うのです。もちろん、無意識な部分が多くても、無意識的にバランスを取って行ける人もいると思います。でも、残念ながら、私はそれとは違うタイプです。常に自分の思考と感情を見守りながら、調整していかなければなりません。

刺激を求めない生き方

刺激を求めたり、両極端なことをするのは、簡単だと思います。思考を働かせず、善悪や倫理を無視して、感情や本能の欲求に従うだけです。これに対して、思考を働かせ、善悪や倫理を尊重し、感情や本能の欲求に安易に従わない生き方は困難です。刺激を求めず、本能の欲求に意識的であり、感情に左右されずに冷静に物事を見つめ、判断するには強力な思考の力が必須です。感情や本能の欲求を上回る思考の力をつけるには、ある程度の訓練が必要です。忍耐と努力、継続の力、強い意志が必要です。時間もかかります。でも、やる価値はあると思います。現在の人間には本当に必要なことなのではないかと思います。人間の進化の過程で、低俗な感情や本能を越えて行くことが、今、必要なことなのだと思うのです。刺激を求めてもきりがなく、満たされることはありません。そのことに気づいてほしいと思います。

人間にとって大切なこと

人間にとって本当に大切なこととは何でしょうか。人間に生まれたからには人間らしく生きるということでしょうか。人間らしく生きるということは、文化的な生活をすることはもちろんですが、やはり、心の部分にあると思います。人間というものは不思議なもので、生理的欲求だけでは満たされない部分があります。その満たされない部分は自分一人だけで決着できることではなく、他人と関わることで満たされます。それも、ただ単に、他人と関われば満たされるということではなく、個人的な欲求を越えた所にあるのです。だから、愛する者のために自らが犠牲になったり、他人のために奉仕したりするのです。

平凡な生活の大切さ

いざ、刺激のない、平凡で、平和な生活に突入してしまうと、戸惑ってしまう人の方が多いのかもしれないと思います。無心で淡々と過ごすことは、実は、精神力のいることだと思います。他人と比べず、自分に価値を置き、正しい行動をし続けることは、難しいことなのかもしれません。また、この不況下、テロや自然災害が多発し、未来を予知できない中で「何も心配せず、過去に囚われず、今に集中して過ごす」ことは、なかなかできない事なのかもしれません。でも、この状況下で、「自分の内側で平和を感じながら、不満を言わずに、刺激を求めずに、無心で淡々と必要なことをこなしていく」ことこそ、人間として生きていく中では非常に価値のあること(修行)なのかもしれないと思うようになりました。人間として生きるということ自体、修行なのかもしれません。いつでも修行中と思っていたら、何か起きても、冷静に対処できそうな気がします。

 

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